西暦 |
月 |
日 |
出来事 |
1966(昭和41)年 |
3月 |
29日 |
1963年に策定された緊急5か年計画の改訂を実施。
6路線64.2キロの建設のほか、2・4・5号線で共通運用するための新型車両の設計も開始。 |
1967(昭和42)年 |
3月 |
24日 |
谷町線(当時の2号線)東梅田〜谷町四丁目間が開通。
それと同時に、30系の前身となる7000-8000形1次車12両が営業運転を開始。 |
9月 |
30日 |
中央線(当時の4号線)谷町四丁目〜森ノ宮間が開通。
同時に、30系の前身となる7000-8000形2次車6両が営業運転を開始。 |
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12月 |
? |
御堂筋線車両置換・車両形式統一計画が決定。
30系8連30編成(7000-8000形からの編入車含む)を1970年の万国博覧会までに投入することに。 |
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1968(昭和43)年 |
6月 |
7日 |
アルミ車体の30系第1号車(3008号車・3508号車)が竣工。大阪市営地下鉄車両初のアルミ車。
2両編成で登場し、谷町線・中央線で運用された。 |
7月 |
8日 |
御堂筋線向けの8両固定編成の30系が初めて竣工(3002編成)。
このあと3001編成も追って竣工し、営業運転開始までの間、試運転が繰り返された。 |
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8月 |
29日 |
御堂筋線で30系が営業運転を開始。7000-8000形からの編入車も登場した。 |
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1969(昭和44)年 |
6月 |
12日 |
1969年度新製分の30系が初めて竣工(3019編成。アルミ車)。 ほぼ同時期に、北大阪急行も万国博終了後に大阪市交通局に編入することを前提に、本年度投入分の30系と同一設計の7000系(セミステンレス車)8連5編成と、8000系(アルミ車)8連2編成を新造。ただし7000系1編成については、先頭車だけで構成されたオールMc車編成だった。 |
9月 |
2日 |
2両編成で谷町線・中央線で運用されていた3008編成の中間車6両が落成し、御堂筋線へ転用。
これで谷町線・中央線からは一旦消滅し、同時期に7000-8000形全車の30系への編入も完了。 |
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1970(昭和45)年 |
1月 |
28日 |
3025編成(アルミ車)の落成をもって、1969年度の増備を終了。
御堂筋線で今まで運用されていた旧型車もこれを機に御堂筋線から姿を消した。 |
10月 |
9日 |
8000系8001編成・8002編成を、同日付で編入。
御堂筋線への4連6編成・8連27編成240両の投入が完了した。 |
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1971(昭和46)年 |
3月 |
8日 |
8000系と同様の処遇となる前提で製造された7000系7001編成〜7008編成を同日付で編入。 |
3月 |
10日 |
四つ橋線で30系が4連で営業運転を開始。
まずは3055-3555+3056-3556編成、3057-3557+3058-3558編成の4連2本が投入された。 なお、8両固定編成だった4編成(3051編成~3054編成)は休車となった。 |
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1972(昭和46)年 |
1月 |
6日 |
休車扱いになっていた3051編成が暫定的に御堂筋線で営業運転を開始。 |
1973(昭和48)年 |
2月 |
中旬 |
北大阪急行から編入した元7000系8連4編成と、先に四つ橋線で営業運転を開始していた2連4編成を組み替えて5連にし、四つ橋線での営業運転を開始。 |
10月 |
16日 |
四つ橋線向けの通称「新30系」3059編成(セミステンレス車)が竣工。
本編成は5連だが、西梅田側から3両目の3600形が本来組み込まれる位置に先頭車である3060号車が組み込まれた変則的な組成となったが、なぜそのような変則的な組成になったかは不明。 |
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1975(昭和50)年 |
5月 |
8日 |
この日から、全地下鉄車両に号線カラー別の色表示が前面と側面に施されるようになる。
30系についても所属線区のラインカラーが表示されるようになった。 |
10月 |
22日 |
3059編成の変則編成を解消するため、3659号車が同日付で竣工。
本年度は四つ橋線向けのセミステンレス車ばかりが製造され、変則編成解消のための5両(3659・3360-3660-3460-3560)と5連1編成(3061編成)が四つ橋線へ投入され、3060号車は3360-3660-3460-3560と組んで正規の5連となった。 |
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1976(昭和51)年 |
5月 |
27日 |
谷町線都島ー守口間の開業に向けてアルミ車6連3編成が同日付で竣工し、約7年ぶりに谷町線に30系が復活。最終的に6連6編成(3044編成〜3049編成)となった。 |
10月 |
31日 |
谷町線車両の全列車6連化に伴い、都島ー守口間開業用に増備された新30系が営業運転を開始。 | |
1977(昭和52)年 |
2月 |
9日 |
座席をビニールレザーからモケット張りに変更した車両が登場。 御堂筋線に10系が登場したことにより、余剰となったセミステンレス車4連1編成(3098編成)を同日付で御堂筋線から谷町線へ転用したと同時に、中間に3300・3600形を新造して組み込んで6連化したと同時に行われたもの。 |
22日 |
谷町線向けのセミステンレス車6連1編成(3089編成)が竣工。
これをもって30系の編成単位での製造は終了し、以降は不足する車両を新造するのみとなる。 |
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1978(昭和53)年 |
12月 |
7日 |
暖房装置が取り付けられた車両が登場。第1号は御堂筋線向けのアルミ車(3017編成)で、これ以降取付改造は進んだが、同時に貫通路妻引戸の設置や座席のモケット化も行われた車両が存在する。 |
1979(昭和54)年 |
6月 |
21日 |
御堂筋線への10系の投入に伴い、余剰となったセミステンレス車4連5編成(3094編成〜3097編成、3099編成)のうち、3099編成が四つ橋線の旧型車の置き換えのため、改番と3300形を新造して組み込んで5連化し、同日付で四つ橋線へ転用。さらに3094〜3097編成も本年度中に同様の方法でそれぞれ四つ橋線へ転用され、御堂筋線向けの4連は消滅した。 |
7月 |
24日 |
余剰となったセミステンレス車8連5編成(3003編成〜3007編成)も他線区へ転用されることとなり、3003編成、3007編成が同日付で中間車3両を抜き取って5連化・改番され、四つ橋線へ転用。
残った余剰車3両2組は谷町線天王寺ー八尾南間の開業に向け、改造の上で谷町線へ転用されることとなったが、不足する3000形、3300形、3500形を同日付で新製して組み込んで6連化された。 同様の方法で、3004編成〜3006編成も1980年度末までに四つ橋線・谷町線へ転用され、 7000-8000形から30系に編入された車両は御堂筋線から姿を消した。 |
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1982(昭和57)年 |
12月 |
25日 |
御堂筋線で余剰となったセミステンレス車1編成(3001編成)の中間車2両を抜き取り、改番の上同日付で谷町線へ転用。 |
1984(昭和59)年 |
3月 |
28日 |
御堂筋線で最後まで残っていたセミステンレス車1編成(3002編成)を深江橋ー長田間の開業を前に中間車2両を抜き取って中央線へ転用する際に発生した余剰車の有効活用のため3000形・3500形を新造し、3001編成の谷町線転用の際に発生した余剰車2両と、3002編成の余剰となった2両ずつを改造・改番の上で組み込み、同日付で竣工した。
今回の転用で御堂筋線からセミステンレス車は消滅し、3097・3597号車が最後のセミステンレス車の新造車となった。 |
6月 |
27日 |
御堂筋線用のアルミ車3編成(3008編成~3010編成)の中間車2両ずつを抜き取って中央線へ転用する際に発生した余剰車の有効活用のため、1976年に谷町線へ投入したアルミ車と同一の車体構造の3043・3543号車を新造し、3008編成と3009編成の余剰となった中間車2両2組を改造・改番の上で組み込み、同日付で竣工した。
なお、3043・3543号車の新造をもって、30系の増備はすべて終了し、363両体制となった。 |
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1987(昭和62)年 |
7月 |
27日 |
御堂筋線あびこーなかもず間開業に伴う車両9連化工事の第一陣が同日付で竣工。
残りの編成も8月25日までに9連化された。 |
1988(昭和63)年 |
8月 |
10日 |
御堂筋線車両冷房化推進に伴い、10系を新造して30系を中央線へ転用することとなり、同日付で転用が始まり、1989年度末までに6編成が組成変更の上で転用され、同線を走る50系を置き換えた。 |
1990(平成2)年 |
7月 |
19日 |
四つ橋線への23系の投入による谷町線への転用が同日付で開始。セミステンレス車5連3編成から中間車1両ずつを抜き取り、5連5編成の中間に組み込んで転用したもので、50系の置き換え用となった。 |
1991(平成3)年度 |
60系に施工した冷房化の実績をもとに、30系についても冷房化の検討・設計が始まる。 |
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1991(平成3)年 |
6月 |
28日 |
御堂筋線への21系の投入により、余剰となった30系を千日前線に転用する際、余剰となったアルミ車5両が同日付で廃車となった。さらに、1990年に四つ橋線から谷町線への転用に伴う組み換えで余剰となったセミステンレス車12両と、24系の投入によって余剰となった中央線のアルミ車6連1編成も7月8日付で廃車となり、30系の本格廃車が始まった。 |
8月 |
22日 |
50系の置き換え用として、同日付で御堂筋線から千日前線へ転用されたアルミ車が登場。
1992年度末までにアルミ車8編成が転用され、転用に伴って発生した余剰車は全て廃車された。 |
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1992(平成4)年 |
6月 |
2日 |
新30系アルミ車1編成の冷房化・大規模改修工事の第1編成が同日付で竣工。
谷町線向けの3045編成で、1994年度には3044編成〜3049編成への施工が完了した。 |
11月 |
17日 |
新30系セミステンレス車1編成の冷房化・大規模改修工事の第1編成が同日付で竣工。
四つ橋線向けの3059編成で、1993年度末までに3059編成〜3061編成への施工が完了した。 |
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1993(平成5)年 |
5月 |
27日 |
御堂筋線江坂-なかもず間で交通局90周年記念ビデオの撮影のために運転された列車を最後に、御堂筋線から30系が撤退した。本列車には最後まで残存した3014編成が充当されたが、同編成は9月3日付で編成全車が廃車されている。
3014編成と北大阪急行2000系の廃車により、御堂筋線は100%冷房化を達成した。 |
7月 |
10日 |
本年度から余剰となった新30系世代の車両についても廃車が発生し、まずは中央線への24系の投入に伴い3043編成が7月10日付で廃車された。編成中には最終増備車の3043・3543号車も含まれていたが、車両の活用先がなかったこともあり、最も短命の約9年で廃車となった。
さらに、1984年3月に竣工した3097・3597号車を含む3097編成についても中央線への24系の投入によって3043編成とほぼ同時に離脱し、3097号車以外の5両が7月23日付で廃車され、3097号車は休車となり、のちに3093編成の冷房化時に転用されることとなった。 |
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1994(平成6)年 |
9月 |
8日 |
谷町線向けの新30系・30系混結のセミステンレス車1編成のうち、30系3両を廃車とし、代わりに四つ橋線で運用されていた新30系中間車2両を電装解除と改番形式に合わせた改造を施し、さらに休車となっていた3097号車を中間車化改造したうえで組み込んだと同時に冷房化・大規模改修工事を受け、同日付で竣工。
今回施工されたのは3093編成で、他線区の車両を巻き込んで組み替えた唯一の事例。ほぼ同様のパターンで3092編成と3099編成についても施工され、1995年度には施工が完了した。 |
1995(平成7)年 |
5月 |
12日 |
同日付で四つ橋線向けの3066編成(セミステンレス車)が、3366号車を残して廃車となった。
これで、7000-8000形から編入された車両は消滅し、残った3366号車は休車となった。 |
17日 |
同日付で四つ橋線向けの3053編成(セミステンレス車)と、中央線向けの3034編成(アルミ車)が廃車となり、中央線から30系が消滅。四つ橋線は冷房化・大規模更新車を残して消滅した。
新20系の投入に伴うもので、2編成の廃車と同時に両線は100%冷房化を達成した。 |
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7月 |
1日 |
谷町線・千日前線の冷房化100%達成により、非冷房で残存していた30系が全て運用を離脱。
アルミ車は6月30日付で千日前線用の3011編成が、セミステンレス車は3087編成が8月1日付で廃車され、万国博輸送で活躍していた世代の30系はすべて廃車された。 |
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1996(平成8)年 |
10月 |
30日 |
四つ橋線車両の車種統一化と残存する新30系全車の谷町線集約計画に基づき、3060編成が休車となっていた3365号車を冷房化・大規模更新工事を施工したうえで組み込んで6連化し、谷町線へ転用された。
本年度中に3059編成・3061編成も同様の方法で3364・3366号車を組み込んで谷町線へ転用されたことで、四つ橋線から30系はすべて消滅し、23系に統一され、30系は谷町線に集約された。 |
1999(平成11)年 |
9月 |
30日 |
3059編成に連結面間転落防止装置の設置工事を行い、同日付で竣工。
2001年度中に施工が完了した。 |
2005(平成17)年 |
4月 |
? |
3045編成に「セントプレイス大阪」のラッピングが施され、同年10月まで運転された。 |
2009(平成21)年 |
3月 |
31日 |
30000系第1編成の導入に伴い3059編成が廃車となり、冷房化された車両の廃車が始まった。
ただし、すぐ搬出せずに森之宮検車場で留置され、9月ごろに解体工場へ向けて搬出された。 |
8月 |
7日 |
3089編成が同日付で全般検査から出場。セミステンレス車の全般検査はこれをもって終了した。 |
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2011(平成23)年 |
4月 |
26日 |
御堂筋線に30000系を導入すると公式発表。その中に「2013年度中に省エネ車両率100%化達成を予定」と書かれており、大まかな30系の引退時期が明らかとなる。 |
7月 |
5日 |
3045編成が同日付で全般検査を終えて出場し、これをもって30系の全般検査はすべて終了した。 |
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7月 |
1日 |
本年3月11日に発生した東日本大震災以降、原子力発電所が停止した影響で電力不足が発生。
夏季の電力不足に対応するための節電が毎年行われるようになり、日中時間帯は省エネルギー車両でのみ運行することとなったため、夏季のみは原則として日中時間帯は稼働しなくなった。 |
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12月 |
17日 |
3048編成が同日付で廃車され、アルミ車の冷房化された車両についても廃車が始まった。 |
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2013(平成25)年 |
3月 |
2日 |
セミステンレス車として最後まで残存していた3093編成が同日付で廃車された。
運用最終日は3月1日。なお、セミステンレス車についてはこれをもって全廃された。 |
6月 |
30日 |
この日限りで日中時間帯の運用を終了。7月1日以降は原則として日中時間帯は稼働しなくなった。 |
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8月 |
20日 |
完全引退を記念し、臨時列車「30系谷町急行」の運行を公式発表。
9月14日、大日検車場ー八尾車庫間で運転。事前応募制で、応募者多数の場合は抽選。 なお、この公式発表と同時に、9月末を最後に旅客運用を終えることが明らかにされた。 |
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21日 |
この日をもって、さよならヘッドマーク掲出前の都島−文の里間の「小運用」での運用が終了。
最終運用は3045編成が充当。 |
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22日 |
この日の朝をもって3045編成のさよならヘッドマーク掲出前の通常運用および、
さよならヘッドマーク掲出前の通常運用での八尾車庫入出庫運用への充当を終了。 八尾車庫最終出庫運用には3049編成が充当され、夕ラッシュ時に八尾南ー大日間を1.5往復。 |
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23日 |
この日の朝ラッシュ時の運用を最後に、ヘッドマーク掲出前の通常運用を終了。
3049編成が大日ー八尾南間を1往復した。 なお先に通常運用を終えた3045編成ともども、同日中にヘッドマーク取り付け作業を実施。 |
||
8月25日から9月29日までの日曜日、「さよなら30系」ヘッドマークの掲出・固定ダイヤでの運用および、10月6日に30系のラストランイベントとして、「さよなら30系 撮影会・特別運転」の
開催を公式発表。 撮影会・特別運転は事前応募制で、応募者多数の場合は抽選。 |
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25日 |
「さよなら30系 Last Run」のヘッドマークを掲げ、固定ダイヤによる運転を開始。
まずは3049編成が充当され、大日ー八尾南間を3往復。 |
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26日 |
3049編成が「さよなら30系 Last Run」のヘッドマークを掲げた状態で、通常運用に復帰。
28日から運用に復帰した3045編成ともども、9月6日まで通常運用に充当された。 |
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9月 |
8日 |
この日からヘッドマークのデザインが変更され、営業運転を開始。
緑色をベースとしたメダル調デザインのもので、編成ごとに周囲の縁取りの色が異なるヘッドマークが用意され、3045編成は青色の縁取り、3049編成は黄土色の縁取りのものをそれぞれ掲出。 前面に描かれた30系のイラストも掲出車両に合わせた車番・行先のものとなっており、 細部がすべて異なったヘッドマークとなっていた。 |
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14日 |
臨時列車「30系谷町急行」が運転された。
3049編成が使用され、大日検車場ー八尾車庫間を1往復。 |
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29日 |
この日をもって固定ダイヤでの運転を終了。3049編成が使用された。
なお、3045編成については9月27日の朝ラッシュ時の運用をもって営業運転を終了し、広告撤去・美化整備・車内装飾など、10月6日のラストランに向けた準備が進められることに。 |
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10月 |
4日 |
この日の朝ラッシュ時を最後に、最後まで営業列車として使用されていた3049編成が営業運転を終了し、これによって全ての30系が営業運転を終了した。 | |
6日 |
この日3045編成で運転された臨時列車「さよなら30系 撮影会・特別運転」をもって完全引退。 1968年から今まで約45年間の歴史に幕を下ろした。 |
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12日 |
最後まで残存していた3049編成が森之宮検車場へ廃車回送され、30系は本線上から姿を消した。 これにより、大阪市交通局の地下鉄車両は全て回生ブレーキ付きの省エネ車両となった。 |
旧7000‐8000形・30系・新30系セミステンレス車 製造別で見る相違点 |
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導入年 |
導入両数 |
貫通路幅 |
車体形状 |
前照灯 |
扉窓 |
座席 |
貫通路妻引戸 |
暖房装置 |
ブレーキ不緩解灯 |
1967
(昭和42)年 |
18両 |
700ミリ |
Type1
接合部溶接 |
白熱灯 |
大 |
ビニール
レザー |
なし |
なし |
なし |
1968
(昭和43)年 |
44両 |
550ミリ |
小 |
簡易運転台部分
のみ |
|||||
1969
(昭和44)年 1970 (昭和45)年 |
64両 |
610ミリ |
|||||||
1973
(昭和48)年 |
5両 |
※ |
大 |
あり |
|||||
1975
(昭和50)年 |
10両 |
Type2
接合部 重ね合わせ |
シールド
ビーム |
モケット |
全車新製時設置 |
新製時
設置 |
|||
1977
(昭和52)年 |
8両 |
なし
(一部切れ込み有) |
|||||||
1979
(昭和54)年 |
10両 |
なし |
|||||||
1980
(昭和55)年 |
4両 |
||||||||
1981
(昭和56)年 |
6両 |
先頭車
増備なし |
|||||||
1984
(昭和59)年 |
2両 |
シールド
ビーム |
|||||||
※…3059・3559:白熱灯 3060:シールドビーム
座席がビニールレザーで製造された車両は後に全車モケット張りの座席に交換 貫通路妻引き戸未設置車は一部車両を除き後年設置改造。暖房化改造と同時施工 |
30系・新30系アルミ車 製造別で見る相違点 |
|||||||||
導入年 |
導入両数 |
貫通路幅 |
車体形状 |
前照灯 |
扉窓 |
座席 |
貫通路妻引戸 |
暖房装置 |
ブレーキ
不緩解灯 |
1968
(昭和43)年 |
24両 |
550ミリ |
Type1
初期アルミ車体 |
白熱灯 |
小 |
ビニール
レザー |
簡易運転台部分
のみ |
なし |
なし |
1969
(昭和44)年 1970 (昭和45)年 |
136両 |
610ミリ |
|||||||
1976
(昭和51)年 |
36両 |
Type2
大型押出材使用 |
シールド
ビーム |
大 |
モケット |
全車新製時設置 |
新製時
設置 |
あり |
|
1984
(昭和59)年 |
2両 |
なし |
|||||||
座席がビニールレザーで製造された車両は後に全車モケット張りの座席に交換
貫通路妻引き戸未設置車は一部車両を除き後年設置改造。暖房化改造と同時施工(暖房化改造は全車施工) 1976(昭和51)年製造車のみ側窓自動開閉機構装備(冷改時撤去) |